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筑波大学附属視覚特別支援学校のWEB


【津田仙】(1837~1908)


佐倉藩家臣の家に生まれ、英学を修め、幕府で蕃書取調方となり、慶応3年幕府通訳として福沢諭吉らとともにアメリカに赴いた。維新後は我が国最初の農学校を創立、「農業雑誌」の創刊、アスパラガスなどの西洋野菜の移植栽培、地方産業の振興などを行い、近代農業を拓いた。「明六社」の一員。また中村正直、新島襄とともに基督教三傑と称され、女子小学校、耕教学舎設立にもかかわり、現青山学院の礎を築いた。現津田塾大学を創立した梅子は二女である。