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筑波大学附属視覚特別支援学校のWEB
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【石川倉次】(1859~1944)

石川倉次の写真

【石川倉次】日本点字の父石川倉次は、1859(安政6)年浜松に生まれ、1879(明治12)年千葉師範学校を卒業後小学校を歴任、小西信八に再三請われ1886(明治19)年訓盲院に着任した。当時盲人は凸字によって教育を受けていたが、小西信八からブライユ点字の翻案を奨められ、生徒らと共に3年間の苦心研究の結果ようやく完成した。小西校長外遊中は、校長事務代理を務めた。1909(明治42)年の盲聾分離に当たっては、小西と共に聾唖学校に残ったが、兼任して盲教育に引き続いて関わった。1944(昭和19)年12月逝去。